毎日遊び呆けてるように見える私ですが 頭の中にはいつも母のことがあります
週一回 施設にいる母に会いに行くこと・・もう10年近くになるでしょうか
姑のときも7年ほど通いました
施設に入ることが良いとか悪いとかの問題は別にして
最後まで人としての尊厳を持って生きていくことは とても難しいことだと学びました
そして終焉を迎えるには 必ず人の手助けが必要になるのです
生まれてきて歩けるようになるにも やはり助けが要るのです
数日前 母の施設へ行くと 「お部屋ですよ!」 と
前日夕食の後に 激しい喉の詰りで唸り声を上げ ひどい酸欠状態になる
たまたま夜勤だったベテラン介護士で 母のお気に入りの「いっちゃん」が病院に
運んでくれました 診察の結果 大事には至らず一安心!
しかし 昨夜から再び熱があり 部屋で寝ているという訳です
こういうことの繰り返しで 次第に身体は弱っていき 痩せ細っていく
5年前に入所した時には 歩行器に寄り掛かってなんとか歩いていたのです
この間施設でお世話してくださっている方々には 本当に頭が下がります
周りから見ると既に寝たっきりの状態としか思えない母を 一人の人間として
お世話してもらってます
1、朝起きて着替えさせ トイレに連れて行き食事を食べさせる(ミキサー食)
2、昼食・夕食も同じように介助
3、一日中オムツではなくリハパンを履かせトイレで用を足す
4、季節ごとのイベントや外出も参加させてもらう
5、冗談に反応するので常に会話の中に入れてもらって 笑いの絶えない生活
等々・・全く5年前と同じなのです
書いていると涙がこぼれます 嬉しくてありがたくて・・
きっと母は幸せなんですね~
母の大好きな施設長でもある介護士の「いっちゃん」
(本当は違う名前だが母がそう呼んでいた)
とても美人で若くて背が高く男前 しかも超ど級の明るい人です
「もうここで看てもらうのは無理なのかな~」 と何度も聞いた
「〇〇さん(母)は私が看るから大丈夫!」 その度に言ってくれる
いっちゃん、本当にありがとう!
でも ここを出る日はそう遠くないでしょう(命も・・) お世話になりました
母の姿を見るにつけ 自分の老いということも考えてしまいます
こんなはずじゃなかった・・と思っていることでしょう
身体を動かすこと目を開けること喋ること 全てできなくなった現実を突き付けられ
諦めの境地に至ったのだと想像します
これを仏教では 「諦念(ていねん)」 と言います
「諦念」・・あきらめる、自己の限界を知る、明らかに究める
「観念」・・かんねんする
「放念」・・手放す(一つのことにこだわらない)
一刹那に生きる、頭で生きず感覚で生きる
この三つ言葉は仏教の教えの一つですが
苦しいこと悲しいこと 思うようにいかないことばかりのこの世の中で
少しでも元気に生きていきたい そういうときに思い出す言葉です
母やその次に私達が姿を消していき 子供や孫に命を繋いでいく
それが人間の使命なのです が・・
最近は結婚しない三十代が多く 我が家の娘達ももれなく当てはまっています
こうなると命の連鎖が途切れて家が やがて村や町が消滅するというニュースも流れ
日本の将来までも危ぶまれているのです
考えても仕方のないことは考えない!
人生は思うようにならない・・それを知ることが 「あきらめる」 ということ!
それを踏まえて 毎日を元気に暮らしていきたいものです
ちょっとしんみりなYUUでした~ ^^;
